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栄養について

栄養について 実は私は18歳からクスリは一錠も飲んでいません。そして医者にも健康診断にも行ったことがないのです。

 誰かに調べてもらわなくても、自分のことは自分が一番よく知っている。クスリを飲めばニガくてイヤ、自分の体がきちんとメッセージ を発しているのです。その声を無視して、“良薬口に苦し”と頭で無理やり封じ込める。私にはそういう概念が一切ない。だから骨を作るためにカルシウムをいっぱい摂ろう、そういう考えが私にはないのです。

 人体に必要なものは栄養素ではありません。栄養素とは人間が食べ物を分析して出した、枝葉末節の結果に過ぎないのです。私たちに必要なのは食べものの持つ生命力です。分析して抽出して作られたビタミン剤、アミノ酸、そういうものに右往左往しているうちは本当の自然は見えないでしょう。

 なぜならば大自然にはビタミンCだけが単体で存在することはあり得ないからです。たとえばビタミンCはレモンの中でいろんなものと混ざり合って存在するのです。それを“ビタミンCが何かに効く”という宣伝文句に乗せられて、ビタミンCだけを大量に摂取すれば、異常事態が訪れます。自然界にビタミンCは単体で存在しないので、体の中は異物が進入したような状態になります。極端に、栄養過多になるともいえます。

 体を農業における土に例えれば、ビタミンCの大量摂取は、土に化学肥料が大量に入った状態と同じです。つまり土や体のバランスが崩れてしまいます。さらに体内常在菌のバランスも崩れてしまうのです。

 こうした栄養素を抽出する、合成する、効果効能のあるものを培養する、といった形で作られた薬や食べ物は、私たちの周りに溢れています。それは、自然界にはやはりそもそも存在しないことなので、極端にビタミン剤や栄養補助食品、サプリメント、食品添加物や農薬・肥料の大量に含まれた農産物などを身体に取り入れていると、やがて私たちそのものを地球に還そう体内常在菌たちは働きます。その結果が死につながります。

そうならないためにはどうすればよいか、このことを一緒に学んでいきましょう。

生命力を食べる

 私たちは自然栽培だけに特化した個人宅配を2004年3月に立ち上げました。会員さんから頂いた嬉しいお手紙をご紹介したいと思います。この方は今まで有機野菜や無農薬野菜を食べてきて、確かに甘みもあり美味しかったとのことが書かれていましたが、続けて「ただ自然栽培のものと野菜との大きな違いは、野菜たちが持つエネルギーの違いであることが分かりました。改めて野菜も生きているのだなと感じることができました」とあるのです。すごく嬉しいメッセージだったのです。美味しいのはもちろんのこと、それ以上に感じることができる世界がある。

 正直言って、甘い野菜を作るには動物のウンチをたくさん入れればそう難しくないといいます。しかしその代償として、虫・病気がついてまわります。自然栽培とは自然界にある適切な養分の中で、甘みを含めた奥深い世界を作り出していく農業です。これがすごいと私は思っているのです。このように言うのは恐縮なのですが、自分が集めた野菜は世界一である、秘かにそう自負しているのですね。だからみなさんに食べて欲しいと思っているのです。

野菜といえども偏ってはならない

 野菜といえども大量に摂れば「副作用」があります。人参でもホウレン草でも、お茶でも同じで、食べものには、すべてメリットとデメリットがある。だから摂り過ぎてはいけない、適度であることが重要なのです。副作用が本当に少ない、もしくはないのが「お米」を始めとする穀類です。昔の人はだからこそ主食に選んだわけですね。

 お米をベースに、自分が食べたいと思うものを食べる。これが本来の食のあり方であると思います。頭で鉄分がどうだ、ビタミンC がどうだ、カルシウムがどうだ、そういうことは一切考えない。それは机上の分析で体には必ずしも全てが当てはまらないのです。たとえば牛乳も飲みたくもないのに、ムリヤリ飲む必要はないのです。もっと自由に自分の感性を信じて、自分がいま何を欲しているかを感じてもらいたいと思います。ただし重要なのは食材の素性です。それがどのようにして作られたのか、一体どんな素材であるのかを問う姿勢が重要であると思います。

 また食べ方についてもさまざまな情報が溢れています。例えば玄米菜食であったり、生野菜をたくさん食べるものであったりしますが、そういうものを一度すべて捨てて白紙に戻す。頭で考えたり、誰かが言っていたりすることをひとまずは捨てる。そこでもう一度よく考え、その後判断する必要があります。

 玄米でも良い面があれば、悪い面もある。完全なものではないのです。私は玄米を食べているから大丈夫とはいえない。玄米も農薬や肥料を使っているものよりは、自然栽培の白米の方がよほど良いのかもしれません。そういう風に一方的に決めつけることなく、さまざまな角度から物事の本質を判断する能力を養う。そうでないとナチュラルライフスタイルには、なかなか辿り着けないと思います。

 私はこうしたことをずっと考えてきたから、今日現在まで病気にならない自分作りができていると思っています。だから私は白米も喜んで食べますし、玄米も楽しんで食べています。あれが良い、これが良いではなく、バリエーションとして楽しんでいます。またある時は7分づき、ある時は白米に五穀を入れてみる。こういう具合にその時々を楽しんでいるわけです。

 基本的にはササニシキ系のあっさりしたお米を食べ、あるときにはコシヒカリ、そうやって自分の食生活を広げるアイテムとして捉えています。これが体に良いからではなく、自分の体が欲しているものに比重を置く。そこが自然食業界でいわれることとの違いかもしれません。

 ただし病気、すなわち浄化が進んでいる時は少し肉食を控えようとか、そうした感覚を大切にすることが重要です。症状が進んでいる最中に焼肉を食べたいとは思いませんよね。そういう感覚を呼び戻していけば良いはずなのに、自分を信じることができない。だから誰かの意見を聞き、それを鵜呑みにしてそのまま実行しようとする。それが今の時代の特徴ではないでしょうか。

自然な味について

 自然栽培の野菜は有機のようにそんなに甘ったるくはなれません。甘くするのに一番簡単な方法はウンチ、糞尿肥料を入れればそれなりに甘く作ることができます。でもそうした反自然な行為を自然に強いた結果、副作用で病気になったり、いずれ硝酸性窒素を溜め込んでしまったりするわけです。だから「甘いのが良い」ではなくて、本来の味はどんなものであるのか、原点に立ち返るまなざしを培う必要を見ていきたいなと思うわけです。「美味い」という字は、“美しい味”と書きますが、美しい土から育まれた美しい野菜の味。これが本当のおいしさだと思います。

牛乳について

 フランクオスキーという人が書いた『牛乳には危険がいっぱい』(東洋経済新報社刊)によると、牛乳は悪い物だらけだというのです。牛の乳は牛の子が飲むもので人間はお母さんのお乳を飲んできた、私もみなさんもそうですよね。歯がありませんから、お母さんから母乳という形でそういう栄養を渡してもらう。

 やがて歯が生えてくることの意味は、自分で食べものを咀嚼できる能力が備わってきたという合図でなのです。歯が生えたことはイコール離乳のサイン。だからそこでお乳の役割は終わったことを意味しています。ところが牛乳には何とかの栄養があるといった分析によって、離乳したにも関わらず乳を飲み続けているわけです。こうしたことを考えると牛乳はできる限り飲まない方が良いと思っています。子供が物心ついたときにニキビで悩みますよね。これも牛乳によるものだったとしたらかわいそうです。興味がある方は読まれてみてはいかがでしょうか。

 カルシウムの摂取量が増えて骨が弱くなったという説があります。昭和の初期、20年ごろの日本人の1日平均摂取量は250mgくらいだったのです。それがずっと伸びて、600mgという時期を経過し、今は約500mgを越えています。つまり摂取量が2倍になっているのですが、当時の人たちよりも骨が弱くなっている。普通に考えれば逆であるはずなのに結果は弱くなっている。栄養分析が進んだわけですから、それに準じて骨は強くなってしかるべきなのに。なぜ弱くなったのか、その根本的なところに目を向けなければなりません。

 今の日本人は昔に比べて絶対に体力がないし病気がちです。いま長寿だと言っても、昔の人たちが長生きされているのであって我々がそうなるとは限らないのです。昔の人たちはそれなりに自然と調和した、化学物質のない生活をしていましたから。だから医療の延命技術がどこまで進歩するかは分からないけれど、私としては昔の人には勝てないのではないかという印象を持っています。

食品アレルギーについて

 それと食品のアレルギーについてですが、リンゴを食べると発作が起きてしまう“リンゴアレルギー”の人がいました。怖がって躊躇されたのですが、ある時、肥料を入れないで育てた無農薬のリンゴを「ちょっとだけでも食べてみて」と薦めたところ、食べなくても口に含むくらいはチャレンジして欲しいと説得し、その方は恐る恐る口に運んだのです。その時の様子は手がブルブル震えて、明らかに極度の緊張状態なのですね。口に入れ覚悟を決めて噛んでみる、すると食べられることに気づき、涙を流して喜んでくれました。「私がリンゴを食べられた!」、よかった、嬉しいと。

 このことはリンゴを、その人が食べられない特殊な人だというのではなく、リンゴを作る過程で使われる農薬や肥料に対して反応しているということです。私の体が悪いからではなく、リンゴの栽培方法に問題があったと気づいて、すごく自信を回復するのですね。

味噌汁班長

味噌汁班長 味噌汁を欠かさず飲むようにしています。会社でも私が味噌汁作りの班長で、今日はどんな具にしようかと思いを巡らしながら出社しています。自分で言うのも恐縮なのですが、私の味噌汁は本当にうまい。味噌汁に命を賭けちゃっている、そういっても過言ではないほど、こだわり続けています。それくらい味噌汁を大切にしています。

そもそも私がそう考えるようになったのは、農家に住み込みで修行に入った時、毎朝「味噌汁だけは飲め!」と農家から命令されたことに遡ります。そうでないと「体力が持たないぞ!」と厳しく言われたのですね。とにかくご飯と「味噌汁だけは飲め!」。

27、8年前の思い出ですが、それからは変わることなく、こだわり続けているわけです。飲まないとどうも具合が良くない。逆に飲むと今日も1日元気でいられるような気分になる。気のせいかもしれないのですが、味噌汁って「大切だな〜」と心から思っているわけです。

お米

 野菜も特定のものだけを大量に取れば必ず副作用があります。どんな食べものにも少なからず、作用・反作用副作用がありますから「○○が身体に良いから」とひとつのものに固執しない。大量に摂らない。この姿勢が大切です。現代人はすぐ効果を考えるクセが染み付いてい。副作用がない食べものはお米くらいかなーと思っています。ないからこそたくさん食べても問題がない。人参を米のように食べることはできません。だからこそ米は「主食」なのです。

 私は折に触れて米だけは良いのを選んで欲しいと話しています。「ミルキークイーン」に代表されるようにモチモチして甘い米、過度の食味追及の末に作られたお米は身体にとってはハードです。こうしたお米は糖尿病の原因になっていると指摘する研究者もいます。甘さとか、モチモチ感が特にあるわけではなく、サラサラしているからこそたくさん食べられる、これが「主食」の意味でもあります。だから普段食べるお米は、できればササニシキをお薦めしています。ササニシキよりもサラサラした品種もありますが、あまりにもサラサラし過ぎていて、私たちの味覚にはちょっと厳しい。ササニシキは現代人の味覚にもフィットする品種だと考えています。食味も適度によく、しかも自然栽培で作られたササニシキをお奨めしている訳です。

 全国各地でその地域にあったサラサラ感と食味のバランスのいい品種をもう一度、蘇らせる活動もしています。その象徴がササニシキなのです。また、コシヒカリなども自然栽培され、自家採種を繰り返すうちに、その土にあった品種として変化していくことを想定しており、自然栽培のお米の地域性と食味は今後さらにバラエティーに富んで多様化していくことでしょう。。

頭で食べない

 「効果・効能」があるものを私たちはあまりにも求め過ぎています。でも「効果・効能」のあるものには必ず「副作用」がある。だから「効果効能 = 副作用」である事を認識してほしい。ナチュラルライフに必要な、全ての答えはここに行き着きます。

 「頭で考えず」とは身体に良いから何かの食材をたくさん食べようという発想と逆の発想です。何々を“どれくらい食べたから健康になる”、“○○が身体に良いから”といった方程式を外しましょう。自分の食べたいものを食べたい時に、食べたい量を食べる。その際のポイントは素材がどのようなものであるかをきちんと選ぶことが大切になるのです。

食べ方の自然について

 玄米菜食主義は私の自然観からするとちょっとずれているなというのが本音です。なぜならばまず赤ちゃんの時に母乳を吸いますね。この時点で既にベジタリアンではない。歯が生えてくる、これは身体が自分で食べられるようになったことを示すサインです。具体的には離乳食を食べることができるようになったことを知らせています。歯が生えたことの意味は、“もう乳はいらない”身体になったことの証ですから、牛乳は必要ない。誰かが“カルシウム何mgが良い”とか、そういった説を真に受けてしまうと、そこから“負の連鎖”が始まってしまいかねません。

 そして成長していき、元気な時はおそらく鹿も射られるだろうし、魚を銛で刺すこともできるでしょう。動物性食品がどうしたという前に、自分の体力に応じたものは食べて良いのではないかと思っています。やがて歳をとってくると、もう鹿や魚を追えなくなってくる。そしたら庭先の野菜や果物、海に行っても貝を拾って、昆布拾って、こういうことに自然になって行く。そうした自分の体力や環境に応じて、自然が与えてくれる食べ物に感謝して食べればよいのではないかなと感じます。

 これはこうだから「ダメである」という発想そのものが“人間の浅知恵”に見えてしまうのです。ただ少なくとも自分の体が病気のとき、自然治癒力が発動しているときは、僕は菜食が良いだろうと思います。病気の時は鹿や魚を追えないわけですから。それ以外のときは、菜食一辺倒で行く理由はないと思います。

生命力の強さについて

 「いったい私たちは何を食べればよいのか?」、それが栄養なのかビタミンなのかは分かりませんが、確信としてあるのは“生命力”なのではないかということです。野菜で言えば、生命力が強いから病気にならず、結果として農薬がいらない。農薬の用途は2つしかありません。ひとつは「虫や菌を殺すため」、2つ目は「虫や菌が来ることを防ぐため」、この2つ以外に存在しないのですね。

 完全無農薬でやっていらっしゃる方は別として、それ以外の農家はどこも農薬に依存した農業をやっています。言えることは、農薬を必要とする野菜は“生命力が弱い”これに尽きる。病気にさえならなければ、農薬を使う必然性はないのですから。  大自然を考えてみましょう。野原を見ても菌がたかって腐っているところはありません。また大量の虫が集中的に来て、食い尽くしているような場所もありません。ですから「自然栽培」とは実は単純で、この仕組みを“農法に活かす”ということに過ぎないのです。

 私は農家を回るのが仕事ですので、北海道から沖縄までの生産者を訪問します。その人たちは最低限、化学肥料は使わないといったそれなりのレベルの人たちです。そこではっきりと分かることは、どうしても農薬から“逃れられない人”と農薬と“さよならできる人”、この2種類に分けられるということなのです。その分かれ道ははどこにあるかと言えば、結果的に、土を育ててきたか、殺してきたかの差だと思います。