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更新コラム 暮らしに潤い☆食農文化講座
ナチュラル・ライフ・スタイルの視点から
「 源平合戦を考える」
温故知新
古きを訪ねて新らしきを知る。
今年の大河ドラマは「源義経」。ドラマは終盤に入っていますが、ここでは"義経の時代"を題材に私たちの自然な暮らし方を考えてみます。
こういうと、
「歴史ばなしはやめて~!」、
「主役のタッキーがカッコイイから見てるだけだもん♪」
そんな声も聞こえてきそうですが、しばらくのご辛抱を。
なぜならこの時代を「ライフスタイル」の面から眺めれば、私たちの「健康」にとって大切な"秘☆密"が浮び上がってくるように思われるからです。
「質実剛健」の裏には
普段は農民、何かあれば鎧カブトに身を包み「いざ鎌倉へ!」と馳せ参じる、"武装農民集団"が鎌倉武士。武士たちは「農耕」と「武芸」を義務づけられました。たとえ上級武士であっても農業指導者としてあらねばならなったのです。
鎌倉武士は「質実剛健」がモットー、簡単にいえば"質素であれ・しかも強くあれ"です。思わず聞き流してしまいそうなスローガンですが、わざわざ掲げたことには明確な理由があるのです。
同じ武士であり、ライバルであったはずの平家一門が公家生活をエンジョイするあまり、体力・気力ともに弱体化し滅亡に至った・・・、つまり平家一門の存在を強く意識していた!ここに行き着くように思われます。
"同じ轍は踏まぬ"、そんな強い意志をコワモテな「質実剛健」から感じてしまいます。
反自然・不健康の極み
平安貴族の平均寿命は男35歳、女27歳くらいだったと考えられています。時は貴族全盛の世、「今宵名月」ともなれば詩歌管弦、終わりなき宴の夜が続き、朝方3時に寝て11時に起きる。野菜は少なく、玄米や五分づき米と乾物ばかりを食べる極端な食生活。糖質の多い"モチ系"の濁酒を多飲し、結果「糖尿病」が蔓延。
さらに気候は、600年に一度訪れるとされる「寒冷期」。だから「十二単」に代表される"重ね着"を纏い暖を取ったのですね。そのため"一挙手一動"極めてスロー、何をするにも面倒で億劫。結果、極度の運動不足に拍車がかかってしまったというわけです。
これでは体力も抵抗力もあるはずがなく、一度病気になればバタバタと人が倒れていく。現世をはかなみ「極楽浄土」に望みを託した「もののあはれ」思想。反自然で、不健康極まりないライフスタイルが貴族の暮らし振りだったと國學院大學名誉教授 樋口清之氏(故人)は指摘しています。
ライフスタイルから見る平家滅亡
"沼より深い知恵を持つ"と後白河上皇に評された源氏の棟梁・源頼朝は「反貴族化!反京都!」、このことを政策課題にしたように思われます。一度京都に上りながらも、権大納言、右近衛大将の官職を辞退、すぐ鎌倉へと戻って幕府を開いた頼朝の胸中はいかに?貴族化という
"大都会・京都の誘惑"の結果、滅亡に至った平家一門の変遷をライフスタイルの面からも理解していたような気がします。
頼朝が鎌倉武士に農耕と武芸を義務づけた意味は、決して奢るべからず、自分の食い扶持は自分で賄え!そうした思いを政策に込めたようにも思えます。何だか、自然栽培にも通じる事柄ですよね。そして"義経の悲劇"も実はこのことにも関係しているように思えます。それについては大河ドラマの推移を見守ることにしましょう。
時は21世紀。私たちも極端な「便利さ」の追求の果てに数々の歪みが表面化してきているように感じます。平安貴族や平家一門の“栄枯盛衰”から学ぶ必要がありますね。
運動不足や極端な生活はやはり禁物。添加物や農薬、より速く・より多くを目的に多投される肥料、高度なメディアや深夜営業の消費様式・・・。これらはやはり不自然と言わざるを得ません。
おっと気がつけば午前さま、早く帰って寝ることにしましょう。
『食べる日本史』 朝日文庫 樋口 清之 著
『逆・日本史2・3』 祥伝社 樋口 清之 著
『歴史は食で作られる』祥伝社 永山 久夫 著
『義経』 文春文庫 司馬 遼太郎 著
更新コラムコーナー コンテンツ
1.ヒミコの国から
2.源平合戦を考える
3.肥料とサラダの関係性 パートⅠ
4.肥料とサラダの関係性 パートⅡ
5.インドヒマラヤの体験と自然栽培
6.「奇跡のりんご」木村さんを訪ねて
7.浪速節だよ♪農業は! 自然栽培の理想と現実
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