| 更新コラム 「自然栽培から学ぶ」生き方シリーズ 「インド体験と自然栽培」 ~ より自然な生き方を求めて ~ 死んだ後も腐らない体 インドはヒマラヤのカンチェンジュンガという山にほど近い、ダージリンの隣町にソナダという町があります。ここにチベット密教の寺院があり、チベット密教カギュ派のカル・リンポチェという高僧の遺体が安置されています。この遺体はなんと死んだ後も腐らずミイラ化しています。チベット密教では、死した後も死体が朽ちないのが聖者のひとつの証となっています。 自然栽培の野菜が腐りにくいことは、これまでに何度となく触れてきました。野菜が腐るのは原因があるからで、9年前この町を訪れこの遺体と対面したのは今の仕事に取り組む前のことですが、ただ、自然栽培の野菜と同じく人間の本来の姿を垣間見た気がしました。この聖者が死ぬとき、回りの人は悲しみよりも微笑みを心に抱いたといいます。なぜ、体が朽ちないのか。心身ともに浄化されているからというのがそこにいたラマ(チベット密教の指導者)の言葉でした。 ヒマラヤで体験した満腹感 インドを旅する中で、ガンジス川の最上流ヒンズーの聖地ガンゴートリーを訪れたことが私の食に対する考えの原点になっています。そこで、わたしはヒンズー教徒の寺院に寝泊りして、一日一食インドの薄いチャパティーというパンの上に少しのカレーを乗せた簡素な食事をいただいていました。寺院の脇に生えている野生のハーブを付け合せるのが新鮮でした。毎日それだけで数日間過ごしていたのですが、たったそれだけの食事でも十分おいしくてありがたくて、空腹感を覚えることはありませんでした。逆にもうお腹いっぱいという感覚が新鮮に記憶に残っています。 衣食住と心の質を高めること ガンゴートリーはヒマラヤの懐にある谷合の村でヒマラヤの雪解け水がとけだして川になっています。大きな滝があり、その滝つぼから怒涛のごとく跳ねあがる水しぶきが谷合の空を覆いそのまま雲となってゆきます。食事をだしてくれる人は寺院の人でとても穏やかな人でした。 素材も山にあるものばかり。やはり食というのは素材ももちろん重要ですが、その作り手の意識や食べる側の意識、そして、その環境によって随分と変わってくる。このときの経験が、私に生活空間としてのトータルな質を上げていくことの重要性を認識させてくれました。その作業をするなかで自身の質も高めていけるのではないか。枯れる死体を見て、「心身の浄化って何なのか?」という疑問を持っていた私は生きる指針をこの時、得たような気がしました。この問題意識を今も持ち続けています。 自然栽培の魅力 何度かインドを訪問したあと、仕事をしながら埼玉の飯能で畑をしたりして、ナチュラル・ハーモニーに入社します。入社して、自然栽培の農家と出会うなかでさまざまなことを教えられました。 自然を規範とする自然栽培という農業が面白いのは、自然が答えを出してくれることです。ある思想や信念にもとづいて何かにとりくんでいたとしても、それが正しいのか間違っているのか答えを出すのは難しいことです。 自然栽培では農作物を物資的な肥料や農薬によって作るわけではないですから、自然に調和し自然の力を引き出せなければ農作物はできないわけです。頭でわかっていても自然に呼応できていなければできない。たくさんの農家と話していて思うのは、人柄が備わっていないと良い野菜は作れないんだということです。そのジャッジをするのが自然だという厳しさがある。その厳しさがこの農業の魅力であり、そこに私たちの住む世界の真理を垣間見れる気がするのです。 だからこそ、自然栽培で野菜ができてくることはすばらしい。何よりその生産者のいつくしみと真心をいただけている気がするのです。だから、自然栽培の野菜を食べてやさしい味わいがするという人が多いのではないでしょうか。 ハーモニック・トラスト 産地担当 田辺 寛雄 更新コラムコーナー コンテンツ 1.ヒミコの国から 2.源平合戦を考える 3.肥料とサラダの関係性 パートⅠ 4.肥料とサラダの関係性 パートⅡ 5.インドヒマラヤの体験と自然栽培 6.「奇跡のりんご」木村さんを訪ねて 7.浪速節だよ♪農業は! 自然栽培の理想と現実 戻る TOP 次へ
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