枯れる野菜と腐る野菜の分かれ目とは!?
野菜が腐る大きな原因のひとつは、肥料にあり
野山の草木が腐っていくことはありません。植物は本来枯れるものなのです。
【左】庭先の柿 肥料・農薬は与えられていない。
【右】一般の市販の柿
冷蔵庫の中で野菜が「腐る」
という経験は誰もがお持ちだと思います。
?「あ~腐っちゃった……」なんて、仕様がないことのように思ってはいませんか?
でもこれって、よくよく考えればおかしなことですよね?
あなたは、山や野原がドロドロと溶けている姿を見たことがあるでしょうか?
植物が「腐る」ということは自然界ではありえない現象なのです。
植物である以上は「枯れていく」、
これが本来の姿です。
あなたの中に判断の軸を持つに当たり、自然を手本に
考えて見ましょう。
あなたの周りの自然を見てみると……。
野を見ても山を見ても、腐っている場所はありません。
すべては色づき、やがて枯れていきます。これはあらゆる植物に共通した現象です。
自然の植物は「枯れる」のに、買ってきた野菜はなぜ「腐る」のか?
自然の摂理に背いた結果ではないだろうか?
そんな違和感を覚えます。
その原因を辿ってみると……、
?「肥料を入れる」こと、つまり有機・化学を問わず、肥料に問題がある場合が多いのです。
作物を育てるのに肥料を入れる、誰もが当たり前にしている常識ですよね。学校でもそのように教えているのですから。
しかしこの常識にとらわれず、身の周りの野や山に目を移してみると、自然界と相反していることに気付きます。
野や山のどこにも、
肥料は使われていないのです。
?一方の有機はといえば、確かに動物や虫たちの糞尿や死骸が入ることはあります。しかし動物の死骸は鳥や他の動物のエサになるし、虫の死骸はアリなどのエサになっていきます。
野山でも糞尿は確かに土に入りますが、特定の一ヶ所だけに集中して、大量に入ることはないのです。単位面積あたりの量が野山の自然界と有機肥料・化学肥料を使う田畑とは比較にならないのです。
さらに、アスファルトの裂け目で生きる植物は、どこからも養分供給をされていません。
「落ち葉が肥料ではないか!」、そんな声も聞こえてきそうです。
でも肥料というよりは、「自然の循環」といった方が無理のないように思います。落ち葉そのものには肥料になるような成分はほとんど含まれていません。
これは肥料ではなく、土の保湿・保温、もしくは新たな土を作るためのものと言えそうです。庭の柿などの植物や街路樹ならば、落ち葉さえもキレイに掃き清められてしまいます。
それでも「柿」は毎年、たわわに果実を実らせます。
化学肥料に至っては言うまでもありません。人間が行わない限り、自然界にまかれることはありえないわけですから。
現代農業の常識は、わずか1メートルにも満たない、土の層での、植物の育つ栄養分であるチッソ・リン酸・カリの足し算、引き算の計算の上に行われています。
しかし、どうやら自然界の植物たちは、肥料を施されなくても、栄養失調にもならずに、逞しい姿を見せていることに改めて気付かされます。
岩場の松の木も、山の樹も、野の草花も、チッソ・リン酸・カリを補わなくても、育っている。
つまりチッソ・リン・カリ以外の何かによって、自然界のなんらかの仕組みによって育っているということが考えられるのです。
?「腐る」と「枯れる」の違いは、
肥料で育てた野菜か?
土や自然界の仕組みが育てた野菜か?
この違いになるのです。
つまり、
栄養過多で、本来の力を出せずに、健康を崩した野菜か?
たくましく、土や作物の本能が引き出されて育った野菜か?
ということになります。
次の写真をみてください。
腐る野菜・枯れる野菜について行った実験があります。「肥料を入れた野菜」と「肥料を入れない野菜」をそれぞれビンに詰めフタをします。
?あくまで確率の問題ですが、時間の経過とともに、肥料を入れた方の野菜は腐る確率が高くなります。
また、栽培の期間に肥料を入れない自然栽培でも、野菜が腐る場合もあります。それは、土の中に過去に使った肥料や農薬が多く残っている場合。または、何かしら、自然のリズムに反した栽培をした場合に起こることがあります。それほどに過去の清算には時間と労力がかかります。そして、作物の生理に反した収穫、保存、流通をした場合にも腐る場合があります。詳しくは無料レポート「食は芸術なり」をご覧ください。
ビンを私たちの体に置き換えてみてください。
あなたは「腐る野菜」と、「枯れる野菜」または「発酵する野菜」、そのどちらを食べたいと思われますか?
枯れていく野菜と腐る野菜があれば、枯れていく方が、直感的にいいと多くの人が思うことと思います。
枯れていくことが自然。
これは、納得いただけたことと思います。
そして、自然のリズムに反することが作物のバランスを崩してしまっていること。
肥料が大きな原因であると、私たちは仮説をたてています。
そして、同じ肥料でも、その肥料の質によって、作物の状態も変わってくる場合があります。
動物性の家畜糞尿を豊富に含んだ肥料を使えば腐りやすく、植物性のものだけなら枯れやすくなる。こうした場合もあります。
どうしてそうなるのか?
それは「土」への理解を深めることで分かってくるのです。
土は岩石の風化のよる鉱物、そして植物を中心とした有機物。そこに微生物などの活動が加わって作られます。
植物が枯れて大地に落ちる。そこに雨などの「水分」が加わる。さらに地熱や太陽光線といった「熱」が注がれる。ここにバクテリアなどの微生物が働くことで植物の腐植は進んでいきます。
これを繰り返し、膨大な年月をかけてようやく土になっていく。自然界は表土1センチの土を作るのに100年~150年もの時間をかけるといわれます。膨大な時間をかけて土は作られていくのです。
人や動物など、あらゆる生き物は土に還っていきますが、主成分はあくまで「植物」。だから「植物性肥料」を使った方が、自然に添っていてクオリティーが高くなる。そのように考えることができるのです。
次に田畑に使われる「肥料の量」ですが、一般にはたくさん与えることでたくさん収穫できると考えられています。栄養が多いことは良いことだ。この思いのもと、一反(300坪)の畑に何トン、何十トンもの肥料が投入されるケースも少なくないのです。
これでは土なのか、糞なのか、よく分からない。そうしたことも実際にあるのです。
生き物の本質は「不足には強いが過剰には弱い」といわれますが、肥料の過剰投入は作物のクオリティーを下げる要因にも繋がるのです。
また「肥料の熟成期間」が短いと虫や病気を呼び込み、腐りやすい作物になりやすくなります。使われた肥料はどのくらいの期間を寝かせたものなのか?
これも良いお米や野菜を選ぶための重要なポイントになるのです。
肥料の熟成については「完熟堆肥」という言葉が使われますが、明確な定義はありません。諸説あって何ともいえませんが、目安は「5年程度」。とにかく時間をかけて寝かせたものでない限り、使用をしてはならない、もしくは極力使用を控える。このことが基本となるです。
でも実際は3ヶ月から半年程度の未熟な状態で、田畑に投入されるケースも少なくありません。また場合によっては、そのままの糞尿を田畑に投入することも実際にはあるのです。
中には臭いさえ消えればそれでよい、臭いがあってもそれで良いと言わんばかりに使われるケースも見られるのです。その結果、作られた野菜は虫や病気などに見舞われやすくなります。
肥料を使うなら使うで、慎重に取り扱わなければならないというわけです。
このように、野菜を見極めるポイントはさまざまです。
買う側が積極的に栽培に使われた肥料の情報を求める姿勢が不可欠になります。残念なことではありますが、使われた肥料の中身を明示しているところは自然食業界でも、ほとんどないのが現状です。
肥料を誤って使うことは、農薬同様に、危険な側面もあるのです。
理由は土中の微生物。家畜の糞尿などの排泄物が大量に入れば、土中の微生物のバランスが崩れてしまいます。現在の家畜の糞尿はホルモン剤や抗生物質などの薬剤漬けである場合がほとんどです。特定の菌や、クスリや薬剤で死なない菌が突出してしまうケースも、あるからです。そうしたリスクから警告が発せられているのです。
また田畑に使われる飼料となる海外の穀物は遺伝子操作の可能性もあります。それらを土に入れ、そこから採れたお米や野菜を私たちが食べる。
「有機だから安全」と無条件に決めつけるのは、無理があるようです。
たとえどんなものであっても肥料の「質と量」、そして肥料の熟成に要した「時間」。これらを誤れば、それ相応の結果が導かれてしまうのです。
本当により自然で安心な野菜とは、本来の自然のリズム・仕組みを活かして育ったものではないでしょうか?
「自然食」、私たちは何気なくそのように呼んだりもしますが、その本質はというと、自然界をお手本にして作られた食べものといえます。
食べものを選ぶ際は、「自然に添っているか否か」このことを基準に判断する必要があります。それには、自然を知っていく必要があるのです。
自然界の草や木に肥料や農薬が使われません。いつだって無農薬・無肥料。自然な野菜とは何か?その答えを自然界が教えてくれているのです。
食卓に少しでも、自然と調和した、枯れていく食材が帰ってくることを願っています。
それでは、いよいよ農薬と肥料のほんとの関係について、お伝えしていきます!!
肥料を使う農業と肥料を使わない農業。まったく違うメカニズムなんだよ。
自然と名が付くか付かないか。
ただ肥料を使わないだけでは、無肥料・無農薬にしても、野菜は育たない。
私たちは、有機栽培や農薬を使う一般の栽培も含めて、すべての農業を否定するつもりはありません。
むしろ逆なのです。
戦後、食糧難を補い、高度経済成長を成し遂げられたのは、農村の労働力にあります。機械化し、肥料・農薬で食料を安定供給することができたからこそ、私たちの今はあるといえます。その歴史を否定しようもありません。しかし、過去の課題が見えてきているのもあきらかです。だとするならば、本来の食、本来の農業を取り戻すことも、小さな型からはじめる必要があると思うのです。
そして、それは絵空ごとではなく、だれでもできる当たり前の農業スタイルとして確立していけることだと考えているのです。事実、取り組まれる農家が増え、30年経っても営農できている現実があります。