足りないから加える
「ブドウに糖分が少ないから砂糖を加える」
「大豆のカスが原料だから、旨み成分を添加する」
「原料のお米が粗悪だから、作られた菌と機械で強制的に発酵させる」
文明が発達し、自然の移り変わりに沿って生きてきた私たち。
生活のリズムの移り変わりに合わせるように、
肥料や農薬を使って農作物の収穫量や時期をコントロールしています。
そのおかげで、今日の私たちがあります。
しかしその一方で、大事なことを置き去りにしてきたともいえます。
それが今の発酵食品がもつの現状に表れている……。
そのように感じずにはいられません。
自然に沿って育った農作物は、本来の力を備えている。
それは、「本物の野菜の見極め方」や、「玄米の見分け方」でもご紹介しました。
その力ある農作物からつくられる発酵食品なら、
添加物を添加したり純粋培養菌にたよったりする必要はないのではないか?
それは、腐らずに、枯れてゆく姿……、
腐敗と発酵の関係に他なりません。
野山を見れば、植物が育ちやがて枯れていきます。
ドロドロに腐った野や山は自然のどこにも存在しません。
植物である以上枯れていく。腐るものはどこか無理がある。
それは自然の野山が教えてくれていることでもあるのです。
それと、肥料の質と量によって農作物が大きく変わることも分かります。
庭に生っている柿も、熟して糖度が上がればそこに酵母が入り発酵する。
しかし、もし、肥料や農薬など本来の生育リズムを壊すものが含まれていると
それを分解するために菌が働き腐敗していくのだと考えます。
発酵できる条件が整った農産物が原料なら、
添加物や純粋培養菌は本来なくても、
シンプルに発酵食品はつくることができるのではないかと
考え実践してきました。
それは発酵という「素材の力=いのち」を
菌と人と場によって引き出される「食」。
人に良いと書く本来の食べ物の営みを象徴した姿だと思うのです。
自然に沿った当たり前だった食品を取り戻し、
そんな発酵食品を選び、食べて、
自分自身がまず本来の自分を取り戻していく。
当たり前だったことが失われて久しい……。
そんな気がしてやみません。
生活のすべてを本来の食材にすることは難しいとしても、
主食たる米と発酵食品だけは、
自然なものを、自然栽培と天然菌で愛を持って育まれたものを、
生活に取り込んでいただけたならと思います。
少しでもその味わいをあなたとあなたの大切な人の感性に取り込んでいただくことが、
なによりも大切なことだと感じています。